ちょっとマジメな話しで、スミマセン。
中国メディアは、
「靖国神社を参拝しないと表明している鳩山政権で、中日関係は順調に発展…」と報道しているそうですね。
総理大臣による靖国神社参拝は、海外から色々な物議を問われていますよね。
でもその首相の家族に、戦争で亡くなっている方がいるんだとしても、、、、
海外からとやかく言われて止めるべき事なのかなぁ???
ボクん家の“おじいちゃん”も、戦争で亡くなっているので、靖国神社にはよくお参りに行きます。
靖国神社には、日本の戦死者だけじゃなく、戦争でなくなった海外の方達も祀られていますからね!
でもね。
一方で、海外メディアが言うように、
ボクは日本人でありながら、日本人が行った戦争での出来事を殆ど知らないなぁ…と、強く思います。
太平洋戦争当時、日本軍が広く占領していたアジアへ行く度に(この“占領”という表現が正しいか分かりませんが…)、戦後60数年経った今でも、戦争の傷あとが沢山ある事を強く感じます。
戦争で、日本人にも多くの犠牲者が出ました。
(コレは、TVでもやってるよね)
でも日本人によって、海外でも多くの犠牲者が出ているんだよね。
(コレは、あまりTVでもやって無い気が…)
今回のBali島(インドネシア)でも、戦争の痕を新たに感じる事が有りました。
今週、アジアから帰国したばかりの今だからこそ強く思うコト。
ちょっと書きたいと思います。
その前に、、、
ボクの“おじいちゃん”はね。 父が3歳の時(だったかな?)に、海軍陸戦隊として、激戦地だったマーシャル諸島のクェゼリン島という場所で戦死したそうです。
父も小さかったからね。
自分の父である“おじいちゃん”の記憶は殆ど無いそうで、父の古いアルバムには、“おじいちゃん”の写真がホンの数枚。
父がまだ赤ちゃんで、抱かれて写る家族の集合写真。
バチッ! と7:3分けされた髪型とスーツで決める、ブロマイド風の“おじいちゃん”。
縁側で休日に新聞を読んでくつろいでいる風の“おじいちゃん”。
(これ等の写真からは、当時としては、少し裕福な生活を送っていた事が伺えます)
そして、、、
海軍の七つボタン(制服姿)の“おじいちゃん”。
椰子の木が茂る戦地で、戦友達(小隊?)との集合写真。
椰子の木が茂る戦地で、片手に剣を持ち、ココナッツを飲んで、一息ついている風の“おじいちゃん”。
多分、ウチだけじゃないと思うんだけど、激戦地での戦死…という事で、“おじいちゃん”の遺骨は無く、戦死したクェゼリン島のサンゴの白い砂が、“霊砂”としてお墓の中に入っています。
父が当時住んでいた家は、空襲で焼かれてしまい、だから全部で10枚もない、色褪せた写真だけが、“おじいちゃん”の唯一の遺品です。
そして自分の家族を戦争で失った父自身も、幼稚園の帰り道に米軍の戦闘機が急降下して来て、機銃掃射攻撃に遭い、友達と一緒に逃げたり、
空襲で飛び散る炎の中、命カラガラ逃げたり、
その後、家族がバラバラの生活を送る事になってしまったりと、戦争に行っていないのに、戦争の被害を多大に受けている一人です。
今でこそ違うとは思いますが、
ボクが二十歳ソコソコの時、仕事でアメリカに行く事になったのですが
「そんな“ケトウ”の国に行くんじゃ無い!」と父に反対され、ビックリした事があります。
“ケトウ”ってねぇ。
でも、戦争で家族を亡くし、戦争の為にその後大変な生活を強いられる事になった父の立場からすれば、当然のコトなんだと思います。
“近藤家”という、小さなユニットでさえ、こうですからね。
戦争の憎しみ悲しみは、海外の人々を含めたらいったいどんだけの数になるのか、、、、
ソレを一番最初に感じたのが、10数年前、フィリピンにホームステイに行った時の事でした。
1ヶ月ほど、散々お世話になったホームステイ先のお兄さんが、帰国直前に「見せたい場所がある…」と、クルマで連れて行ってくれた場所。
マニラ市内にある、サンチャゴ要塞というスペイン統治時代の観光地。
この要塞の中には、川に面して牢屋が有り、直ぐ近くの海が満ちると、牢屋が水没し、罪を犯した人が亡くなる仕組みになっています。
何て残酷な牢屋だ… と思ったのですが、
実は太平洋戦争当時、日本軍がこの牢屋にフィリピン人をギュウギュウ詰めにして、大量虐殺を行った事実を知らされました。
(碑にもそう書いてある…と、一緒に行った日本人の友人が訳してくれました)
そんな事があったんだ…と言葉も出ませんでした。
絶句しているボクに、お兄さんも「コレは事実だよ! でも過去のコトだよ!」と肩を叩いていました。
他にも、フィリピンにはコレヒドールという場所を始め、日本軍がフィリピンに攻め入り、当時敵対していたアメリカとの戦いで、多くのフィリピン人が犠牲になった事も知りました。
また別のホームステイ先では、フィリピン人のオジイチャンがいたのですが、日本人であるボクが滞在中、終始不機嫌。 挨拶もしてくれないし、目も合わせてくれませんでした。
家族によれば、オジイチャン。 実は日本語がペラペラとの事。
昔、日本軍の捕虜となり、奴隷の様にこき使われ、今でも日本人の事を憎んでいる…という事実を知りました。
(オジイチャンの仲間は、みんな日本軍に殺された…との事です)
戦後何年も経った今でも憎しみが消えない…。
国や立場、状況こそ違えど、戦争の被害を受け、ボクの父と同じ様な気持ちの人達が、この国にも沢山いる事実を知りました。
ミャンマー(ビルマ)を訪れた時にも、やはり日本語ペラペラのオジイチャン達が沢山いました。 同じように、戦争で日本軍の捕虜になったそうです。
(でもここの人達には、家に呼ばれてゴハンをご馳走になりました)
オートバイツーリングに行ったスリランカでも、日本軍による傷跡が沢山有りました。
こんな遠い国まで、ゼロ戦が爆撃に来たそうで、スリランカ軍も地上から応戦。
飛行機を打ち落とし、不時着して大ケガをした日本のパイロットを、敵にも拘わらず村でかくまい、手当てをした…という逸話も聞きました。
そのパイロットはその後元気になり、また日本軍に戻って行った…との事です。
(恐らく、その後軍に戻ってから、スリランカへの攻撃を行った…という、なんとも皮肉な話しでした)
そして一昨昨日までいたBali島の東北部には、トゥランベンというダイビングスポットが有ります。
このスポットは、太平洋戦争当時、日本軍が攻撃し、今は海に沈むアメリカの輸送船・リバティ号の中に入れる有名な人気スポットです。
戦争の傷あとが、世界中から集まるダイバーに人気とは、なんだか皮肉な感じがしました。
またBali東部のロンボク海峡にも、戦争で沈んだ日本の船があるそうで、コチラもダイビングのスポットにもなってるそうです。10数年間、何度も行っているBaliですが、今回初めて知りました。
日本はアジア諸国を、とても広い範囲で占領していたからね。
…なのに、知らない事が多いです。
そうそう。
スリランカツーリングの時、当時のスリランカ駐在の大塚日本大使から、
「敗戦した日本は、スリランカによって、分断されずに済んだんですよ!」 という話しを聞きました。
サンフランシスコの講和条約の時に、当時のスリランカ代表ジャヤワルデナ氏(当時は大蔵大臣 後に大統領になった)が、
「憎しみは憎しみによっては止まない。愛によってのみ止む」
と、仏教用語を引用し、同じ仏教国でもあり、同じ島国でもある日本を擁護。
スリランカは日本への戦争賠償責任を追及しない意向を示したそうです。
ジャヤワルデナ氏の言葉により、各国が賛同し、日本は分断されずに済んだのだそうです。。。。
※現在もオンデマンドで放送してますので、後で見て下さいネ♪
知らない事多いよ。
ヤッパリ、、、、
ボクはこう思うんです。
戦争は起こしては行けないモノ。
だからこそ、日本が起こしてしまった過去の事実も、日本人としてもっと知りたい!!!
なんでそんな番組が無いんだろうね・・・。
毎年、8月の終戦記念日が近づくと、TVでも戦争関連の特別番組が放送されますよね。
でもその殆どが、日本が、日本人が「戦争の被害者」となっている様な番組ばかり。。。
当時の日本軍が諸外国に対して、どんなコトをしてきたのか…は、ボクはこれまで、番組を通して知ることは無かったです。
(今年見たNHKのBSで放送された、当時のモノクロ映像をフルカラーにした番組では、当時の日本軍の事実を少し扱っていました…)
海外に行った時に「オマエ、日本人なのに知らないのかよ!」って何度も恥を掻きました。
日本人なら、原爆を落とされたり、空襲にあったり、アメリカ軍によって被害を受けたコトを誰でもが知っているのと同じように、
海外では、日本軍によって受けた被害を、今でも背負いながら生きている人達はとても多いのです。
何年か前、終戦60年に当たる年に、
天皇陛下ご夫妻が、サイパンのバンザイクリフなどを訪問し、黙祷を捧げられた時のお言葉が、ボクにはとても印象的で、今でも心に響いています。
「改めて先の大戦によって命を失ったすべての人々を追悼し、遺族の歩んできた苦難の道をしのび、世界の平和を祈りたいと思います。私ども皆が、今日の我が国がこのような多くの人々の犠牲の上に築かれていることを、常に心して歩んでいきたいものと思います」
【出典:宮内庁HPより 全文はコチラ】
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/speech/speech-h17e-saipan.html
深いお言葉だなぁ。
ボクは何度読み返してみても、涙が出てきてしまいます。
このお言葉の様に、
「今あるこの世界は、多くの人々の犠牲の上に築かれている」
という事を世界中の皆が心していれば、これから先の複雑な問題も、解決の道が見えてくる気がするのですが。。。
そしてボクの“おじいちゃん”が亡くなった、マーシャル諸島の環礁、クェゼリン島での戦い。
日本軍約3900名がほぼ全滅し(生き残ったのは260数名だとか…)、アメリカ軍にも約200名の戦死者が出たそうです。
グーグルアースで観ると、とってもキレイで、とっても小さな島。
この小さな島で、約4000人が戦死したそうです……。
戦争は、いけないコト。
戦争で亡くなった多くの人達を追悼する為にも、
過去に何が起きたのか・・・
その真実を封印して欲しくないナ!
と、ボクは思うんです。
アジアから帰国する度に、ボクは“おじいちゃん”がどんな状況で、どんな風に亡くなったのか…。
とっても知りたくなります。
いつかは、行ってみたいですね。。。。
クェゼリン島。
ボクは“おじいちゃん”の“孫”ですから・・・
スリランカの日本大使から、
「敗戦した日本は、スリランカによって、助けられた…!」という話しを聞いた番組はコチラ
(この番組を観たら、鎌倉へ行ってみたくなるかも?)
「あっ!とおどろく放送局」で無料でご覧頂けます
『近藤スパ太郎が行く! スリランカツーリングの旅』
【http://www.odoroku.tv/vod/000000089/index.html】
04.02.06 (16分)
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